資料館ノート
井戸と水道
仙台市内に初めて水道がひかれたのは大正12年(1923)のことです。当初は旧仙台城下とその周辺への給水に限られ、まだまだ井戸水を使う家は多く、井戸から水をくむのは子どもの仕事とされた家もありました。つるべ桶や水がめはくらしの中で欠かせない大切な道具でした。
戦後になって上水道の普及区域は広がりましたが、水源は広瀬川の上流になる大倉川や青下川(青下ダム)、名取川の伏流水などであったため、夏場の渇水期には断水することもありました。水道水が安定して、より広域に供給されるのは、昭和36年(1961)の大倉ダム(多目的ダム)や昭和45年(1970)の釜房ダムなどの完成をまってからのことになります。水道の普及は私たちのくらしを大きく変えました。油ものの料理の後片付けも楽になり、洗濯機も水道があればこそ使えます。
一方、水道が通ってからも井戸水のほうが味が良いといって使い続ける人もいましたが、昭和30年代後半から40年代の高度経済成長期には、化学物質などによる井戸水の汚染も問題になり、井戸はだんだんと活躍の機会を失っていきました。それでも災害時の応急用水の確保のため、現在でも200を越える井戸が仙台市内にはあります。
●つるべおけ
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●堤焼の水がめ
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