資料館ノート
初公開・東照宮祭礼(仙台祭)の人形
江戸時代、仙台の「東照宮祭礼」は例年9月17日(旧暦)に行われ、藩主が仙台にいる年には神輿(みこし)が城下を渡御(とぎょ・みこしがお出かけすること)し、城下の有力な商人たちは神輿の先駆けとして壮麗な「渡し物(わたしもの)」と言われた「山車(だし)」が祭礼をより一層にぎやかにしました。この祭礼は「仙台祭(せんだいまつり)」ともいわれ、近在・近郷などからも数多くの見物人が来て大変なにぎわいをみせたといわれます。
この人形は嘉永3年(1850)の「東照宮祭礼(仙台祭)」の時、現在の仙台市若林区荒町(あらまち)の庄司屋治兵衛が「傘鉾(かさほこ) 唐崎(からさき)ノ浦ニテ 海女(あま) 玉(ぎょく)ヲ得ルノ躰(てい)」と題して作らせた「渡し物」の一部で、「海女」をもした人形の部分と推定され、江戸時代に行われた「東照宮祭礼」で使われた「渡し物」の様子を今に伝える現物で、唯一のものと思われます。
なお、この人形は2010年10月、資料館で初公開されました。
※荒町の渡し物は18人の担(かつ)ぎ手によって担がれたもので、正確には「舁(か)き山」といわれます。
※明治時代になると祭礼で神輿の渡御は行われなくなり、「渡し物」は招魂祭など限られた祭日に出されることもありましたが、明治32年(1899)を最後に出されなくなりました。
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●「渡し物」を描いた図
嘉永3年(1850)の東照宮祭礼(仙台祭)の様子を描いた絵図にある人形の姿。
海中から大切な「玉(ぎょく)」を持ち帰る海女の話を元に作られた「渡し物」で、右手に海女さんが使う小刀を持ち、左手に玉を持っています。
「東照宮祭礼之図 其二」(常盤文庫蔵版『仙臺年中行事繪巻』、昭和15年復刻の特装本)より部分拡大、原本は仙台市博物館所蔵
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●東照宮祭礼の人形
右手に小刀、左手に玉を持てるようになっています。江戸時代に作られた人形なのでやや状態が悪いところもあります。
色白で面長な人形の容姿は、当時の「美人」を意識して作ったものなのかもしれません。
仙台市歴史民俗資料館所蔵
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