早川智寛(はやかわ・ともひろ/ちかん)            1・ 2 ・3・4


野蒜築港というのは,明治維新後に大久保利通が計画した東北開発計画の一つです。
野蒜(現・宮城県鳴瀬町)に近代的な港をつくり東北の産業や交通をさかんにしようと計画したのです。
明治14年,工事の一部が完成し,防波堤や運河が,新しいまちができました。
しかし,残された工事が進まないうちに,明治17年秋,台風におそわれ堤防のほとんどがこわれてしまいました。その後,復旧の見通しが立たないまま,工事は中止となり,野蒜築港は,まぼろしとなってしまったのです。