早川智寛
(はやかわ・ともひろ/ちかん)
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野蒜築港の工事主任だった早川は,明治13年,宮城県の土木課長となり,県内の土木事業に力をつくしました。
有名なものとしては,明治16年から行った貞山堀の改修工事があります。江戸時代以来何度かにわたってつくりつがれてきたこの運河に【貞山堀】という名前を付けたのは,早川だったのです。
明治22年には,【早川組】という会社をおこして広く東北,北海道の土木工事にかかわりました。